阿武隈川に遡上する鮭孵化場の湊さんの話し
自然があり丸森町の内川の水で500万粒~250万粒の孵化放流
あの東北第2の大河に今も痕跡遺構が残る阿武隈川の鮭捕獲場
福島県と宮城県が競い1日50匹捕獲すると自慢の赤い旗を立て
それはそれはすごい
捕獲場は県とか町の管理

袖五郎の捕獲場は個人の所有するもので鮭は其処を通らなかったが蟹や鮒、すごい量の捕獲があった
孵化場の職員ははらこを漁場を廻って集めての丸森町の孵化場に
当時 自転車で布袋に入れて途中水溜まりではらこを休ませながらやっとの想いで運搬

昭和35年
郡山工場の有毒排水で阿武隈川の鮭が黄色くなってほとんど死滅

丸森町内川。
⚡️🌀☔️台風19号で
孵化場の水路跡形もなく流されその痕跡さえない
孵化場人生の記憶と記録は消え去ることはない
それを知っているのはそれを失った人だから語り継ぐのだそれも今生きている内に✨

丸森町内川の水で
起きたら顔を洗い
ご飯を炊き
その水で鮭の孵化放流を
今は内川の水さえ飲むことさえ怖くて飲めない

だが鮭孵化放流は
毎年50万粒の放流があれば鮭は戻ってくると イクラのように
クリクリキラキラした目で話す

現在和田さん新聞記事で5万匹放流を子供たちの微笑ましい姿素晴らしいです

昭和20年
20歳の孵化放流青年
戦争直後食糧無い
時代だとは誰も❗️

今 ここ 自分

今日も
一日感謝して
素敵にすごしましょう✨

花やさんの思い出

よく 袖五郎から 蟹 さけ いただいた
今思うと 高級食材 だった‼️
斎理屋敷 あぶくまそう 食事会 後 船くだり 正行さん きよみちゃん、恭子ちゃんと 楽しんだとき ガイド役正行さんが 熱弁 分かりやすかったわ❗️
ガイドもっと 勉強して だったな
楽しかった 思い出‼️